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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて
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ときどき「どの生き物が生き残るかは偶然だ」と言われることがあります。しかし一般に、このように偶然で説明するのは危険です。もしかするとカオスのように、一見法則がないように見えて決定論的な法則があるかもしれません。もし偶然で説明する癖がついてしまえば、重要な法則を見逃す可能性があります。それに、現実の宇宙には決定論的に動く要素と確率的に動く要素がありますが、決定論的な流れをたどっていけば最終的には確率的に振る舞う何かに行き着くのは当然です。私達が重視すべきなのは確率的なものを結果につなげる決定論的な流れの方です。
地球外知的生命体が地球にやってきて、玉ねぎの研究をしたとします。玉ねぎの本質を掴むため、一枚一枚皮をむいていくのですが、最後には何も残りません。むいていったものが玉ねぎの本質だったのです。
科学についても同じことが言えます。皮をむくのはけっこうですが、最後に残ったものが重要だとは思わないほうが良いのです。
私達は何かが起きた原因をさぐる時、流れを過去へとたどっていきます。
しかし、宇宙の年齢は有限なので、辿るのには限度があります。これ以上原因を突き止められない何かにたどり着くでしょう。
上の図でいうと、Aは突然現れた現象です。つまりビッグバンか、単なる量子的なランダムさで起きた出来事です。それが巡り巡って現在起きた何かにつながった、というわけです。ひょっとするとブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こしたのかもしれません。
しかしこれをもって量子的なランダムさが竜巻の「原因」だと言えるでしょうか?私はそうは思いません。むしろその途中の決定論的なルールこそ私達が探るべき「原因」なのです。
上の図で言うと、Aが起きるという偶然と、A→B、B→C、C→D、D→Eというルールすべてが揃ってEがもたらされたのです。どれか一つでも欠けるとEが現れる保証がなくなります。そしてAが起きることは将来においては期待できないので(もしその状況で期待できるのなら、その状況こそがAの原因だと言えます)、私達が重視すべきなのはルールの方なのです。
私達は原因を過去へ過去へとさかのぼっていきます。そして最後には偶然か宇宙の始まりにたどり着くのですが、それ自体は大して重要ではありません。いままで解明してきたルールこそが本質だったのです。
あるとき蜘蛛の巣にある蝶がひっかかったとします。それ自体は偶然だと言えます。風の流れが違えばその巣には引っかからなかったでしょう。
では蜘蛛が餌を手に入れるのは偶然だと言えるでしょうか?もちろん違います!蜘蛛が餌を手に入れたのは蜘蛛の巣を張っていたからで、かかる餌は別の蝶や虫かもしれませんが、結局餌を手に入れるのはほとんど必然と言えます。重要なのは偶然ではありません。重要なのは蜘蛛の巣を張ること、偶然から必然的な何かを手に入れるルールなのです。