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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて
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情報理論にはカルバック・ライブラー情報量といういかにも難しげな名前の概念が出てきます。しかし実は、これは「(仮に実在するとして)超能力の威力を表すもの」として解釈するとかんたんに理解できます。このページではこの冗談のような考え方を真面目に追求します。素面のまま酔っ払うのです。
では私がここで「超能力」という言葉でが一体何を表そうとしているのかを、数学的にはっきりさせておきましょう。超能力自体はオカルト的で怪しげなものですが、きちんと定義しておけばそれについて考察することは可能です。
定義:超能力とは、自分の思い通りに行かなかった世界を自分ごと抹消する能力のことである。
ではサイコロの目を自由自在に操る超能力について考えましょう。ギャンブルで大儲けできる能力です。
まずは超能力なしでサイコロについて考えます。サイコロの目はランダムですが、これは考え方によっては、次のように宇宙が分裂したとも解釈できます。
ゲームをしていて6の目を出したいあなたは、6つに分裂した宇宙のうち1つでのみ喜ぶことになるでしょう。だからサイコロの目は1/6の確率であるかのように感じられるというわけです。本当は全ての目が確率1で出ているのです。
ここで、次のように宇宙を抹消する力を手に入れたとしましょう。そうすると、主観的にはあなたは常にサイコロの6を出すことが出来ます。確率を捻じ曲げたのです。これが「サイコロの目を自由自在に操る超能力」の正体です。
これは都合の悪い宇宙を自分ごと殺すということで、SF小説『宇宙消失』や、あるいはもっと真面目な物理学の思考実験<量子自殺>とほぼ同じ考え方です。
これでほとんどあらゆる超能力を説明できます。念力とは、偶然物体が動いた確率を大きくする能力です。量子力学的にはそんな確率はほとんど0ですが、完全に0ではないので、確率を捻じ曲げればスプーンも曲がります。
この調子で手から電撃を出したり、銃弾にあたっても跳ね返したり、怪我をしてもあっという間に再生したり、封筒の中身を開ける前に知ったり、地震が起きる前にそのことを知ったり、なんでもござれです。
カルバック・ライブラー情報量について考える前に、もっと単純な式で表される選択情報量について考えておきましょう。じっさい、選択情報量でも超能力の威力は計算できます。
選択情報量とはいわば「おどろき」を表す数であり、確率が低ければ低いほどその選択情報量が大きくなります。つまり、それが大きいほど強い超能力だということです。コインで必ず表を出す超能力より、宝くじで一億当たる超能力のほうが強いに決まっていますからね。
これは言い換えると、抹殺した宇宙の割合が大きければ大きいほど、強い超能力だということです。強い力を出すためにはたくさんの生け贄が必要なのです!
では例を見てみましょう。
2本のひものうち一本が当たりのくじを必ず当てる超能力の威力は1ビットです。
4本のひものうち一本が当たりのくじを必ず当てる超能力の威力は2ビットです。
すべてのひもが外れなのに当たりを出す超能力の威力は∞ビットです。これはまあ…不可能ということです。どんな強力な超能力者も無限のパワーはもっていないでしょう。
以上で超能力の威力を数値化することが可能だということがわかりました。では…これで十分ではないでしょうか?カルバック・ライブラー情報量などという難しそうなものは考えなくてもよいのではないでしょうか?いいえ、ちゃんと考える必要があるのです!
選択情報量には弱点があります。実は以上の例は全て、「確実に実現する」超能力です。選択情報量では「確率をちょっと上げる」超能力の威力は計算できないのです。たとえば、次のように「1/2で当たるくじを、99%の確率であたりを引く」能力の威力は、選択情報量では計算できません。
中途半端ではあるものの、このような超能力が現実に使えたらきっと便利でしょう。しかし、選択情報量ではこの威力は計算できません……。そこで助けになるのがカルバック・ライブラー情報量です。カルバック・ライブラー情報量は、こういう中途半端な超能力の威力も計算できます。その計算の結果は0.92ビットです。100%実現するバージョンは1ビットの威力ですから、ちょっと弱めということがわかりますね。
実は、カルバック・ライブラー情報量があれば、選択情報量の計算をする必要などありません。結局この2つは、1, 2, 3などの整数と0.1, 1.7などの小数の関係に似ていて、より柔軟な方で、もう片方をすべて表せるのです。整数の1と小数の1は同じです。カルバック・ライブラー情報量でも、「確実に実現する」超能力の威力は計算でき、その結果は選択情報量で計算した場合と同じなのです。にもかかわらず私が最初に選択情報量について述べたのは、そちらのほうが式が単純だからに過ぎません。まあ、小学校でもまず整数を教えてから小数に進みますからね。
なお、「カルバック・ライブラー情報量は超能力の威力を表す」という考え方を受け入れれば、普通の考え方をするときの注意事項である「カルバック・ライブラー情報量は距離ではない。2つの確率分布を入れ替えると値が変わるからだ」もかんたんに理解できます。入れ替えると値が変わるというのはつまり、「1/2であたるくじを99%当たるようにする超能力と、1%の確率で当たるくじを1/2で当たるようにする超能力は威力が異なる」ということだからです。そんなの当たり前です!
理屈は理解していただけたと思います。では、カルバック・ライブラー情報量を視覚的に見てみましょう。
このプログラムは、電撃を敵に浴びせる超能力をランダムウォークを使ってモデル化したものです。本来ランダムウォークはでたらめな動きをするものですが、これは前述の<宇宙抹消>方式によって確実にターゲットに当たるように確率が調整されています(ターゲットの位置はクリックで調整できます)。紫色の線が電撃で、その周りの白いモヤのようなものがカルバック・ライブラー情報量です。オーラみたいで美しいです!白い部分はカルバック・ライブラー情報量が大きいということを意味します。つまり白いほど超能力が強く働いているのです。ランダムウォークは的に命中しなければいけませんから、漏斗を逆さにしたような強いカルバック・ライブラー情報量で方向を定めてやる必要があるのです。
ところで、「オーラみたいで美しい」というのは真面目に考える必要がありそうです。私は超能力バトル漫画に出てくる人の体を覆う白いオーラの正体は、カルバック・ライブラー情報量だと確信しています!その手の漫画に出てくるキャラクターは素手のパンチで岩を砕いたりしますが、これは明らかに現実の確率ではありえないことで、カルバック・ライブラー情報量は確実に大きいからです。
さらに、超能力の局所的なカルバック・ライブラー情報量の期待値の和は、その超能力の結果の確率のみを使って計算した大域的なカルバック・ライブラー情報量に一致します。これはあたかも、超能力を使っている最中にオーラが消費されているかのようです。
ここから何が言えるかを具体的に言いましょう。オーラは、確率を捻じ曲げた現象がじっさいに起きたときに消費されます。つまり、普通に立っているときにはほとんど消費されません。いかに莫大な量のオーラを纏っていたとしても、消耗を気にする必要はあまりないのです。しかし、その状態で銃で撃たれ銃弾を弾き返すと、オーラを消費します。ほとんどありえないことを現実にしたからです。(上のプログラムで言うと、逆さにした漏斗のような白い部分はカルバック・ライブラー情報量が大きいことを意味しますが、じっさいにはそれらはほとんど消費されません。ランダムウォークがその場所に行かなければ消費されないのです。そしてご覧の通り、ランダムウォークがその場所へ行くことはほとんどありません)
面白いのは、ありえない現象を現実に出来なくてもオーラは消費されてしまうこともあるという点です。たとえば99%の確率でサイコロの6の目を出す超能力があるとすると、1%の確率で失敗してしまうわけですが、その場合もオーラは消費されてしまいます。あくまでその超能力を使った上でサイコロを振った、というのがオーラ消費の条件なのです。
カルバック・ライブラー情報量は、アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズの<現実歪曲フィールド>の正体でもあります。ジョブズはその楽観性が周囲の開発者に影響を与え、しばしば実現不可能なはずのプロジェクトを実現してしまいましたが、それを表したのが<現実歪曲フィールド>という言葉です。
明らかに、この正体はカルバック・ライブラー情報量です。カルバック・ライブラー情報量は確率の歪みを表すからです。ジョブズの能力はオーラをアップル社全体に広げ、その中にいる開発者を強化し、プロジェクトが成功する確率を上げるものだったのです!!
ここまでの話を総合すると、自然淘汰が鳥に翼を与えたのと同じように、生物にオーラ=現実歪曲フィールドを与えるのが自然に思えます。真面目な話、確率を自分の都合の良いように捻じ曲げる能力が、自然淘汰によって選択されないわけがありません。
じっさい、<宇宙抹消>方式は、明らかに自然淘汰と酷似しています。これはつまり自然淘汰が目指すところと同じものを<宇宙抹消>方式はたやすく実現できるということです。両者はとても相性が良いのです。
さらに、オーラの実在を示す根拠もあります。<延長された表現型>です。これは生物の個体とその周りの環境は遺伝子にとって大して区別する必要はないという考え方です。振り返ってみましょう。遺伝子の目的は自分自身の複製です。そのために自分の周りに個体を作り、その周りに巣を作るのです。ビーバーの遺伝子は、ビーバーやビーバーの巣を作ることによって、自分自身が死に絶える確率を低くしているのです。これはまさに現実歪曲フィールドそのものです。だいたい、物質というのはほっとけば崩壊するものなのに、生物はなかなかか崩壊しないというのは明らかに確率がゆがんでいるというしかありません。
こうしてみると、「超能力」というものが実在するにせよしないにせよ、フィクションにひっきりなしに登場する理由が理解できます。おそらく私達の脳にある神経回路はほとんどがカルバック・ライブラー情報量に反応するものばかりで、それがつい勢い余って「超能力」というフィクションにも反応してしまうのでしょう。超能力は単なるフィクションと言うよりは、目を大きく描くような誇張表現に近いのです。
フィクションに登場する超能力は、平行世界の自分自身を宇宙ごと抹消することで説明できます。超能力が実現しなかった宇宙がなくなれば、主観的には超能力が使えているのと同じだからです。
超能力の威力は生贄に捧げた宇宙の割合から選択情報量として計算できます。超能力を使っている最中の確率の歪みまで計算しようとするとカルバック・ライブラー情報量が必要で、これはオーラのように超能力の周りを取り囲みます。これがフィクションに登場するオーラの正体です。
ダーウィンの自然淘汰はこの超能力モデルとメカニズムがよく似ていて、じっさいに<延長された表現型>としてオーラを進化させます。これが我々が超能力を、それが実在しないにもかかわらずフィクションの中に登場させる理由です。脳の中にそれに反応する回路がいっぱい詰まっているのです。