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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

コペルニクス原理、人間原理、タイムトラベル

物理学には対立する2つの考え方、コペルニクス原理と人間原理があり、現実にはどちらもある程度は正しいです。この2つはそれぞれ、普通の確率とタイムトラベルによってゆがんだ確率と、数学的に似ています。


コペルニクス原理と人間原理

タイムトラベルとの関連を見る前に、コペルニクス原理と人間原理について見てみましょう。

コペルニクス原理

16世紀の天文学者ニコラウス・コペルニクスは、地球がそれまで考えられていたように宇宙の中心ではなく、太陽の周りをまわっているとする地動説を唱えました。これが意味するのは、「自分たちは特別ではない」ということです。地球は宇宙の中心だと考えられてきましたが、ほかの惑星と同じく太陽の周りをまわっているに過ぎなかったのです。

この「自分たちは特別ではない」というコペルニクス原理は、物理学以外にも適用できます。たとえば地質学者のチャールズ・ダーウィンによると、人間は神が自分の姿に似せて作った特別な存在ではなく、進化によって生まれたさまざまな種の一つでしかありません。

人間はさまざまな形で自分たちを特別だと思いたがるため、コペルニクス原理によってその傲慢な鼻をへし折ってやる必要があるのです。

人間原理

一方、「自分たちは特別だ」とする考えも、ある程度は正しいと言えます。私たちはかつて火星には火星人がいると考えていましたが、現時点ではそこでは微生物さえ見つかっていません。少なくとも太陽系の中では、地球は生命の存在する特別な場所のようです。

なぜ私たちは特別なのでしょう?もし地球が生物の生存に適した惑星ではなかったら、そもそも私たちは存在せず、その存在を認識することもなかったのです。つまり、私たちの存在が、私たちが生まれ育った場所で生物の生存が可能であることの証明と言えます。

現在、物理学では宇宙の物理定数が人間の生存にあまりに適しすぎているということがわかっています。あたかも宇宙が私たちのために存在しているかのようです。おそらく複数の宇宙が存在しており、そのほとんどは私たちの存在に適していないのですが、そういう宇宙を私たちが観測することはないため、私たちが観測するのは私たちに都合がよい宇宙のみというわけです。

タイムトラベル確率

人間原理に似たものにタイムトラベルによる確率のゆがみがあります。有名なおじいさん殺しのパラドックスについて考えてみましょう。

おじいさん殺しのパラドックス

あなたが過去に戻って子供時代のあなたのおじいさんを殺そうとしたとします。タイムパラドックスは決して起きないとするノヴィコフの首尾一貫の原則が正しいとすると、あなたのおじいさんを殺そうとする試みはことごとく失敗します。つまり、おじいさんの頭を銃で撃とうとすると、銃がなぜか故障して撃てなくなるのです。それか、トラックがあなたに突っ込んできて、やはり撃てなくなるのです。いや、突っ込んでくるのはトラックではなく隕石かもしれません。

これではあたかも宇宙があなたのおじいさんのために存在しているかのようです。実際、あなたが存在しているということはおじいさんは決して死ななかったということの証明であり、いろいろな出来事がおじいさんの生存に適したものになっているということは間違いありません。

タイムトラベルコペルニクス原理とタイムトラベル人間原理

このタイムトラベルによる確率のゆがみは、人間原理による確率のゆがみと全く同じです。自分の存在自体が、確率のゆがみを引き起こしているのです。未来から自分の子孫がやってきた存在は「特別」なのです。

一方で、おじいさんは何ら特別ではないということも事実です。おじいさんはきっと、大金持ちで厳重な警備に守られているわけではなく、ごく普通の一般家庭で育っている可能性が高いと言えます。不気味な確率のゆがみが生まれるのは、おじいさんに子孫を作ることができないような危害を加えようとしたときのみであり、ほかのことについては全く普通なのです。そういう意味で、おじいさんにもコペルニクス原理は適用できるのです。

コペルニクス原理とは未来からの情報がかかわっていないときの確率に基づいた原理であり、人間原理とは未来からの情報によってゆがんだ確率に基づいた原理なのです。

補足:二状態ベクトル形式

タイムトラベルに似た概念に量子力学の二状態ベクトル形式というのがあり、これもコペルニクス原理と人間原理とのつながりがありそうです。二状態ベクトル形式によると、現在は過去だけでなく未来の影響も受けます。宇宙の初期状態がすでに決まっているのと同様、宇宙の最終状態もすでに決まっていて、私たちはそれを知らないだけなのです(だから、量子サイコロの結果もすでに決まっていると言えます)。

コペルニクス原理は、宇宙の初期状態のみを使って確率を計算した場合の原理で、人間原理は宇宙の最終状態も含めて確率を計算した場合の原理です。

なぜ人間原理は行き過ぎてしまったのか

コペルニクス原理も人間原理もある程度は正しいと言えます。しかし科学の大発見というものはコペルニクス原理に基づいたものが多いように思えます(*)。これはおそらく、我々が普段から自然に人間原理に基づいて物事を考えているからで、バランスをとるためにコペルニクス原理を使う必要があるのです。

ではなぜ私たちは人間原理に基づいて物事を考えがちなのでしょうか?それはおそらく、私たちが自然淘汰の産物だからです。以前述べたように、自然淘汰もタイムトラベル同様確率のゆがみを生み出します。生物の種はほとんどが絶滅しますが、現存しているすべての種はこれまで一度も絶滅したことがありません。つまりその意味では私たちは特別なのであり、「自分たちは特別だ」ということを前提とする何らかの情報処理システムが自然淘汰によって形作られたのでしょう。

もちろん、その確率のゆがみがこれからも存在し続ける保証はありません。だからコペルニクス原理もある程度は正しいわけです。

(*)地動説、進化論、相対性理論。コペルニクス原理は「特別な観測者はいない」と言い換えることができ、これは相対性理論とつながります。量子力学は観測者を特別視するようにも見えますが、観測者が宇宙とともに分裂する多世界解釈を採用すればそうではありません

まとめ

「自分たちは特別ではない」というコペルニクス原理と「宇宙は自分たちのためにある」という人間原理はどちらもある程度正しいと言えます。前者はタイムトラベルのない時の確率に基づいた考え方と同じで、後者はタイムトラベルによってゆがんだ確率に基づいた考え方と同じです。後者はダーウィン流自然淘汰によって自然に生まれるため、私たちは意識してコペルニクス原理を使う必要があります。

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