忍者ブログ

Memeplexes

プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

リアプノフ指数は意識を持ったソフトウェアの視点からは意味をなさない

物理学ではあるシステムがカオスかどうかを判断する時、似ている2つの軌道が時間の経過によって指数関数的に離れていくかどうか(リアプノフ指数)をチェックすることがあります。もし指数関数的に離れていくのなら、蝶の羽ばたきが増幅され竜巻を引き起こすこともあるかもしれません。カオスの可能性があります。しかしこの基準のみでカオスかどうかを判断するのは明らかに無意味です。なぜなら、もしあなたが意識を持ったソフトウェアで、コンピュータの中で実行されているとしたら、実行速度を指数関数的に遅くしていけば、外の世界ではカオスでない現象も内部からはカオスに見えてしまうからです。


カオスかどうか視点による

逆に、シミュレーション世界内のカオスな現象が、外部の観測者から見るとカオスではないということがありえます。シミュレーションを指数関数的に遅くしていけば、外部の観測者はバタフライ効果のような指数関数的な変化の増幅ではなく、一定の速度の変化のみを目にすることになるでしょう。

これが何を意味するかというと、カオスかどうかは観測者によって異なるということです!ちょうど、相対性理論で「2つの出来事が同時かどうか」は観測者によって異なるのと同じです。時間のように観測者によって異なるものをカオスかどうかの判断に含めてしまったためにこのようなことになってしまったのです。

シミュレーション内の時間は本当に重要か?

しかしまってください。シミュレーション内の時間と外部の時間を対等に扱ってもいいのでしょうか?外部の時間のほうが「本当の」時間なのではないでしょうか?

少なくとも次に述べるケースに置いては、シミュレーション内の時間を尊重しなければいけません。

意識を持ったソフトウェア内のカオス的現象に注目してみましょう(意識を持ったソフトウェアというからには多分多数のニューロンを持っているでしょうから、そいつがカオス的現象を引き起こすと考えるのは自然な考えです)。その現象は、意識を持ったソフトウェアにとっては間違いなくカオスです。一方、シミュレーション外部の観測者にとっては、カオスではありません。もしシミュレーション外部のほうが「本当の」時間なのだとしたら、意識はカオスを全く含むことなく存在できるということになります。私はそれは不合理だと思います。正しい考え方は多分、「意識はカオスを含まねば存在できず、カオスかどうかは、その意識の時間を基準に判断しなければいけない」なのです。

*もちろんこの議論にはあやふやなところがあります。意識はカオスを含まねばならないなどという証拠はどこにあるのでしょう?あやふやな論拠に基づいて考えてもあやふやな答えしか出てきません。ですからこの議論は、カオスや意識に対する正しい認識を得るためにしているというよりも、誤った結論に飛びつかないようにするためのガードのようなものだと考えるべきでしょう。

拍手[0回]

PR