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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

絶滅のパラドックス

「人類は絶滅するか?」という問いに対しては、もっともらしい論理から2つの矛盾する答えを導くことが出来ます。これは自己複製による確率の歪みであり、両者が正しいということが出来ます。

人類は絶滅するか?

「人類は絶滅するか?」という問いに対してはしばしば次のように答えられます:

「絶滅する。なぜならこれまで種の99.9%が絶滅しているからである。人類も例外ではない」

一方、次のように考えることも可能です:

「絶滅しない。なぜなら人類の先祖はこれまで一度も絶滅したことがなかったからである。人類は絶滅した種より人類の直接の先祖に性質が似ているのだから、絶滅した種を参考に絶滅する確率を計算するのは間違っている。人類の絶滅確率は0%である。」

どちらももっともらしい議論に思えます。後者はじゃんけん大会で優勝した人が次も勝てるだろうと思うのとはわけが違うことに注意してください。じゃんけん大会は偶然ですが、絶滅するか否かには偶然以上に、周りの環境に適応しているかどうかが関わってきます。つまり、生き残ったのには理由があるわけで、それがこれからも続いていくと考えるのはそれほど突飛な考えではありません。この矛盾はどう解消すればよいのでしょうか?

自己複製による確率の歪み

このパラドックスは、生物の系統が増えるということを考えると解決できます。

人類がこれから1000種類に分岐すると考えてみましょう。そのうち999種が絶滅して1種生き残れば、「人類は99.9%の確率で絶滅する」と「人類は絶滅しない」を両立することが可能です。つまり両者が正しいのです。

量子自殺の単一宇宙バージョン

この考え方は、量子力学の思考実験である量子自殺の変種だと考えることが出来ます。

物理学者マックス・テグマークの考えでは、意識を持つ存在は実際は死ぬことがありません。というのも、多世界解釈によれば宇宙は分岐するからで、たとえほとんどの宇宙で死んだとしても、どこかに生きている平行世界があるはずだからです。というわけで、他者から見ればその人は死んだとしても、主観的には意識は永遠に続いていくのです。

ロシアンルーレットであなたが負けることはありません。自分の頭を撃ち抜いた世界であなたが死ぬのは確かですが、そもそも自分が死んだ状態は誰にも観測できないので、結局自分が観測するのは自分が生きている世界だけなのです。「観測できないのは存在していないも同然」です。

<絶滅のパラドックス>は、多世界解釈による宇宙の分岐を一つの宇宙の中での種の分岐に言い換えているだけで、本質的には同じです。生物は自己複製することによって量子自殺による不死性をシミュレートしているということもできるでしょう。

タイムトラベルによる確率の歪み

<絶滅のパラドックス>はタイムトラベルによる確率の歪みと数学的に似ています。

ノヴィコフの首尾一貫の原則によると、タイムマシンで子供時代の自分のおじいさんを銃で撃っても、なぜか銃弾がそれて殺すことが出来ません。どんなに精度の良い銃を使ったとしても、どんなにおじいさんの頭に向かって撃ったとしても、当てることは出来ないのです。仮におじいさんの頭を打ち抜けたとしても、その直後に超自然的な回復現象によりおじいさんは再生するでしょう。あなたの存在が、おじいさんがこれまで死ななかったことの証明だからです。

もしタイムマシンがなければ、誰かが誰かの頭を撃った時、99.9%の確率で死ぬでしょう。しかしタイムマシンが存在して、未来でターゲットが死なないということがわかっていれば、決してターゲットは死ぬことはありません。

<絶滅のパラドックス>の2つの見方はそれぞれ、タイムマシンがない場合の確率と、タイムマシンがある場合の確率に対応しています。生物は自己複製することによってタイムマシンをシミュレートしているということもできるでしょう。

まとめ

人類が絶滅するか?という問いには2つの立場から異なった答えーー「99.9%で絶滅する」と「100%絶滅しない」ーーを出すことが出来ます。しかしこれらは生物が自己複製するということを考えると矛盾しません。この確率の歪みは量子力学の多世界解釈やノヴィコフの首尾一貫の原則によるものと同じです。

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