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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

マンボウのパラドックス

マンボウの一生を図にすると、「子供から大人になり、卵を生む」というようなものになるでしょう。しかしこれは明らかに間違いです。ほとんどのマンボウは死んでしまうからです。この図は明らかに生存者バイアスで歪んでおり、真のマンボウの一生の図は、「何も残せずに死ぬ」でなければいけないのです。


生存者バイアス

大勢でやるじゃんけん大会を考えましょう。じゃんけんをして勝った者同士がじゃんけんをして勝った者同士がじゃんけんをして…を最後の一人になるまで繰り返すのです。

ここで面白いのは、もしこの大会の優勝者にインタビューしたとしたら、次のようなことを言うだろうということです:「特別なことなんて何もありません。ただ私がパーを出したら相手はグーを出し、私がチョキなら相手はパーなのです。あいこも何回かありましたが、最後は必ず負けてくれます。まるで魔法のようでした。世界が意思を持っていて、私を勝たせようとしているかのようでした」

もちろん魔法などありませんし、世界に意思もありません…たぶん。しかし優勝者にとってはそれらが真であるときと区別がつかない体験をしたのは確かです。これを生存者バイアスといい、勝ち残った人にのみインタビューを行うと、このような確率の歪みが発生するのです。

これは危険です!何らかの難病から偶然によって生還した人のインタビューだと、それを聞いた人はその病気は治療など何もしなくても大丈夫なのだと思いスティーブ・ジョブズのように死ぬかもしれません。というわけで、科学においてはこのようなバイアスを排除しなくてはいけません。生き残った人だけではなく、死んだ人も調べなければいけないのです。

マンボウの一生

では生存者バイアスは必ず排除しなければいけないものなのでしょうか?そうとはかぎりません。ここで注目すべきなのはマンボウの一生です。

マンボウの一生を図にするとしたら、「卵から孵って、育ち、大人になり、交尾して卵を生む」といった感じになるでしょう。しかしこれは明らかに間違いです。マンボウは300,000,000もの卵を生み、そこから生き残り繁殖するのは平均して2匹に過ぎません。したがって偏りのない図をつくるとしたら、「卵から孵って、何も残せず死ぬ」でなければならず、その2/300,000,000ほどの大きさで、「※しかしながら、生き残り卵を生むケースも存在する」という注釈をつけるに留めなければならないのです。

しかしながら、そのような図は明らかに実用的ではありません。我々は少なくともマンボウの一生を図にするときは、生存者バイアスを肯定しているのです。

生存者バイアスの正当化

では、一体何が、生存者バイアスを正当化するのでしょうか?

マンボウの例から考えると、ダーウィン主義的なしくみが関係ありそうです。ダーウィン主義的にはすべての個体は遺伝子を残すように行動するので、遺伝子を残せた一生を強調するのは理にかなっているわけです。遺伝子を残せた個体が「正しい」のであり、残せなかった個体は――遺伝的アルゴリズムで一時的に現れる適応度の低い解のように――無視しても良さそうです。たとえ後者のほうが多かったとしてもそれは未来に情報を伝えていないので、科学の目的の一つである「未来を予測する」には役に立ちません。

そう、未来が生存者バイアスの正当性を決めるのです。ある人がマンボウの子供を飼っていて、その子供が子孫を残せるかを予測しようとしたら、2/300,000,000という情報を重視すべきでしょう。生存者バイアスは許されません。一方、マンボウを見て、「こいつはなぜ餌を食べているんだろう?」という疑問に答えたいと思ったら、「マンボウの一生は卵を作るためにあるからだ。次の卵を作るためには、餌を食べて大きくならなければならない」となります。生存者バイアスが許されるのです。実現しようとしている未来によって、ある生存者バイアスが許されるか否かは変わるのです。

出発地点への疑問

ここまでの議論から考えて、生存者バイアスは目的によって許されるか否かが変わるようです。では、そもそもなぜ「生存者バイアスは避けるべきだ」と言われるようになったのでしょうか?

私が思うに、目的を達成するためにはデータの取捨選択(バイアス)は避けられません。問題は、そのデータを目的の違う誰かと共有するときに起きます。目的によって最適なバイアスのかけ方が違うからです。

しかし科学には一般化という性質がありますから、データにどんなバイアスを掛けてもいいなどと言うわけには行きません。それは無法状態を招きます。そこで、科学者の身の回りで出現頻度の高い目的を基準に「正しい」バイアスを決め、それを「バイアスのかかっていない状態」と表現するのでしょう。

まとめ

基本的に生存者バイアスは避けるべきですが、常に避けるべきだとは限りません。もし生存者バイアスを完全に禁じれば、「マンボウは死ぬ」が正しいマンボウの一生の図になってしまうでしょう。生存者バイアスが許されるか否かは目的によって変わります。実現すべき未来が手段を決めるのです。

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