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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

決定論と非決定論の両立

完全に決定論的世界でも、完全に非決定論的な現象が起きることがあります。それは観測者が分裂した場合です。観測者が二人に分裂すると、観測者にとって自分がどちらになるかは50%です。


多世界解釈

コインを投げたとき、宇宙が二つに分裂するとします。おもてが出る宇宙とうらが出る宇宙です。

ふつう、このような図は「コインを投げたとき、おもてかうらのどちらかが出る」という考え方で描かれますが、ここでは「コインはおもてもうらも両方出る」のだと考えて下さい。つまり宇宙はじっさいに2つに分裂するのです。

このときとても興味深いことが起きます。宇宙の中にいる観測者にとって宇宙は非決定論的なものに見えるでしょうが、宇宙の分岐を外から見ているわたしたちにとっては、決定論的です。わたしたちの視点では、宇宙はコインを投げたとき100%の確率でおもてとうらに分岐するので、決定論的なのです。にもかかわらず、宇宙の内部にいる観測者にとっては、分岐した別の宇宙が存在することなど知らないので、コインは50%の確率で表になっているだけであり、事前の予測は不可能なのです。

つまり、世界が決定論的であるかどうかは見る人によって変わります。宇宙の分岐などという大仰なことを考えなくても、あなたが単細胞生物だったとしてこれから分裂するとしたらどうなるか、と考えてみるとこのことは自明です。あるいは眠っている間に脳の情報をコピーしてもうひとりの自分を作ってもかまいません。意識の複製は、たとえ宇宙が決定論的であったとしても、必ず確率的なできごとを引き起こすのです。

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