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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

コインのエントロピー

コイン投げのエントロピーを計算するデモです。イカサマでないコインだとエントロピーは1ビットですが、イカサマすると(イカサマの内容を知っている仕掛け人にとっての)エントロピーは下がります。


予測の難しさ

エントロピー = bit

操作方法

おもて――うら:コインの確率を設定します。

解説

これはコイン投げのエントロピーを計算するデモです。通常、コイン投げの結果は1ビットですが、イカサマしておもてが出やすくすると(あるいはうらが出やすくすると)エントロピーは下がります。

予測しにくさ

エントロピーは無知の尺度と解釈できるので、あらかじめおもてが出やすいと知っているイカサマ野郎にとってはコイン投げの結果は予想しやすく、エントロピーは低いのです。

驚くべきことに、それがイカサマコインだということを知らない人にとっては依然としてエントロピーは1ビットのままです。というのも、第三者にとってはそのコインはおもてが出やすいコインかもしれませんし、うらが出やすいコインかもしれませんし、公平なコインかもしれないからです。すべての可能性を考えると、結果はおもてうら50%50%だと考えるしかありません。なので、仮にイカサマが仕込まれているかもしれないと思ったとしても、そのイカサマの内容を知らない限り公平なコインの場合と同じエントロピーになるのです。

ただし、おもてが出るほうが有利なゲームをしているのなら、第三者もおもてが出やすいコインかもしれないと推測でき、第三者にとってのエントロピーも小さくなるでしょう。

非決定論さ

ここからはちょっと怪しげな話になります。私もあまり信じていないので真に受けないで下さい。

これを見ると、エントロピーは決定論と非決定論を区別する数字だと考えることもできそうです。つまり、何回投げようと100%おもてが出るコインは、次の状態が完璧に予測できる決定論的なものなので、エントロピーは0なのです。

一方で、ほんのすこしでもうらが出る確率があるなら(おもて99%, うら1%)、それは非決定論的です。エントロピーが0なのが決定論で、それより大きいなら非決定論とみなせそうです。

ここで1つ疑問が浮かびます。エントロピーは人によって違うので、同じものを見ていても人によって決定論かそうでないかは変わりそうです。そんな事がありえるのでしょうか?ありえるかもしれません。

量子サイコロの結果は確率でしか予測できないとされますが、タイムマシンでやってきた未来人なら100%確実にこれから振る量子サイコロの結果を予測できるでしょう。わたしたちにとって量子力学は非決定論的ですが、未来人にとっては決定論的なのです。

この考え方を続けるとカオスも非決定論になりかねません。ふつう、カオスは決定論的なルールであるにも関わらず(初期条件のほんの僅かなズレによって最終的な結果が大きく変わるため)予測が困難なシステムはあるというような言い方をされますが、この考え方だと、「初期条件を完璧には知らない人にとっては非決定論的だが、完璧に知っている人にとっては決定論的だ」となります。

この考え方は哲学者ダニエル・C・デネットの思考実験を連想させます。うろおぼえですが、たしかこんなものでした:もし量子力学の非決定論さが自由意志に必要不可欠なのだとしたら、自由意志を持つロボットを作ろうとしたらとうぜん量子サイコロを搭載することになります。しかし量子サイコロは内蔵する必要はあるのでしょうか?あらかじめ量子サイコロをなんども振って、結果をロボットに記憶させて内臓量子サイコロの代わりに使うように設定すれば、ロボットが決定論的部品からのみからできていたとしても、外部の人から見れば非決定論的に振る舞うでしょう。事実上、量子サイコロを内蔵した場合と全く区別がつきません。こうなると、自由意志に量子力学の非決定論さが必要不可欠だという話は怪しくなります(デネットは決定論的なプログラムでもほんものの自由意志は作れる派です)。

というわけで、決定論か非決定論かは見る人によって変わるのです!!

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