忍者ブログ

Memeplexes

プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

神経ダーウィニズムから見た感謝

日本語では感謝の意を伝える時「これはめずらしいことだ」という意味の「ありがとう」という言葉を使います。一方で、相手を罵倒するときにも「これはめずらしいことだ」という意味の「異常」という言葉を使います。では……珍しいことは良いことなのでしょうか悪いことなのでしょうか?脳の仕組みがダーウィン主義的プロセスによって動いているという説から考えると、「めずらしいこと」とは突然変異のことであり、良いものでも悪いものでもありうるとみなせそうです。


感謝する意味

我々が何のために感謝するのかを考えてみましょう。それはたぶん、その行動を繰り返してほしいときです。困っているときに助けてくれた?すばらしい!じゃあ次に困ったときもそうしてください!これはダーウィン主義的には繁殖に相当します。我々は「ありがとう」と口にすることによって、自分に都合の良い他者の行動パターンを繁殖させているのです。

罵倒する意味

では何のために罵倒するのでしょうか?たぶん、その行動を繰り返してほしくないときです。研究を邪魔された?ふざけるなこのクソ野郎!相手を萎縮させれば、次に相手がその行動を繰り返す確率が下がるに違いありません。これはダーウィン主義的には有害な突然変異を取り除くことに相当します。我々は相手を罵ることによって、自分に都合の悪い他者の行動パターンを消し去っているのです。

感謝と罵倒は何が違うのか?

しかしすぐに次のような疑念が浮かびます。どうして「ありがとう」で行動パターンが繁殖して、「このクソ野郎!」で行動パターンが消えるのでしょう?どうして逆ではないのでしょう?いや、実際のところ「このクソ野郎!」などと相手を罵ったら、相手は怒り狂い、さらに私に嫌がらせをしてくるかもしれません。そう考えると、相手に反応するということ自体が行動パターンの繁殖なのかもしれません。

おそらく、相手を罵倒することによってその行動を止めることができるのは、相手が自分が罵倒されると予測していなかったときに限ります。軽い冗談のつもりで何かをした時相手に罵倒されると、気まずい思いをしてそれをやめるでしょう。罵倒を予測していなかったからです。

一方、こちらを傷つける気満々の相手が嫌がらせしてきたときに罵倒すると、それがダーウィン主義的な繁殖となり、更に嫌がらせされるでしょう。「よしこいつはちゃんと嫌がってるぞ!もっと嫌がらせしてやろう!」

ラプラスの悪魔シミュレーション

というわけで、我々は感謝とか罵倒とかいった概念を捨て去るべき時が来たのかもしれません。全ては予測可能なパターンを増やすという計算なのです。

「ありがとう」というのは繰り返されてほしい(その時は予測不可能ではあったけれども予測されたものになってほしい)物理現象に出会ったときに使う言葉です。言われた方は感謝されることを予測はしていなかったかもしれませんが、自分が必要とされている(他人によって未来の自分の存在が予測されている)ため、いい気分になって繰り返すわけです。

我々が人を罵倒するのは、自分が大切にしている何か(未来もそれが変わらず存在しているという予測)を傷つけられたからです。罵倒された側が反省してその行動をやめるのは、自分が罵倒されるとは予測していなかったからです(笑い事ですむと予測していたのです)。罵倒された側がその行動を過激化させるのは、罵倒された側がはじめから相手を傷つける意図をもって攻撃していた場合です(相手が嫌がることを予測していたので、罵倒したくなるほど嫌がっているということは、予測が当たったということを意味します)。

拍手[0回]

PR