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Memeplexes

プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

シラードのエンジンのメモリー読み取りエラー

メモリの正確さは重要です。メモリの内容がノイズで書き換わったり、読み取り間違いで違った解釈をされてしまったら、機械はとんでもない誤作動を起こすかもしれません。ロケットに積むコンピュータならメモリの内容が人の命に関わります。このページでは、かんたんな機械(<シラードのエンジン>)で、メモリの大切さについて考察します。


メモリのエラーと発電量


発電量:%

操作方法

画面の[↑]ボタンをクリック:メモリが正しく解釈される確率を上げる。

画面の[↓]ボタンをクリック:メモリが正しく解釈される確率を下げる。

解説

このプログラムは、永久機関<シラードのエンジン>のメモリがもし故障してしまったら発電量にどのような影響があるか計算します。↓ボタンを押してみて下さい。発電量の数字が下がっていきます(エラーが全く無い場合の発電量を100%とします)。<シラードのエンジン>は分子の情報を元に発電するので、メモリが故障してしまえば、発電量も下がってしまうのです。

情報を保存するのに向いているもの

情報を保存する方法は完全に自由です。大昔の人類は石版に情報を刻んでいましたし、紙に文字を書くとか、コンピュータの回路の特定の場所に電子があるかどうかで情報を保存してもいいです。重要なのは、それを読み取って目的を達成できるかどうかであり、その中間段階でどのような形式を用いるのかはやりたいようにやればいいのです。

とはいえ、明らかにまずい情報の保存のしかたもあります。たとえば、「紙に書いたカタカナの「ロ」が0,漢字の「口」が1とする」という方法情報を保存するのは間違いのもとです。取り違えやすい方法で情報を保存してはいけないのです。というのも、情報を読み間違えてしまったら、目的を達成できないからです(あくまで大切なのは目的の達成です)。

上のプログラムは、メモリの読み間違いによって、目的の達成にどのような悪影響があるかを、かなりシンプルな機械で確認するためのものです。<シラードのエンジン>の場合目的は発電で、メモリの読み間違いによって発電量はどんどん下がっていくわけです。

では情報を保存するのに向いているものは何でしょう?それは、ハッキリ区別出来るものです。「紙に書いた「□」が0,「■」が1とする」なら、かなり読み取りエラー少なくなるでしょう。たぶん、人間以外の動物にさえ読み取れるでしょう(明るい色と黒い色を見分けるだけなら、眼点をもった単細胞生物にすら可能かもしれません)。2つのパターンに明確な違いがあれば、読み取りミスは減らせるのです。

ここから話すことは私の妄想に過ぎませんが、もしかするとこれが人がオカルト的偶然でさわぐ理由かもしれません。テレビに出てくる自称超能力者が「あなたの壊れた腕時計を再び動かしてみせる」と言った時、膨大な数の視聴者の中のひとりくらいは偶然、本当に腕時計の針が動く人もいるでしょう。それは偶然にすぎないのですが、人はそこから意味を読み取ろうとします。というのも、普段起きない現象は、日常の世界とハッキリ区別ができるからです。明確な違いがあるものは、メモリとして、何らかの目的のために存在している可能性があります。時計のように全くの偶然でしかない現象もあるでしょうが、人類の先祖が生きていた環境では、何らかの生物の意図の痕跡である可能性もあり、生き延びるためにはその理由について考える必要があるでしょう。その推理力が現代社会で暴発しているというわけです。

区別

ところで、明確に区別できる2つのパターンとは、どのようにして作ればいいのでしょう?もし私がオリジナル文字を作るとしたら、じっさいに使ってみて読み間違えた文字に何か特徴的な線を足そうとするでしょう(あるいは間際らしい線を引こうとするでしょう)。たぶん、漢字の「一」、「ニ」、「三」の次が「四」なのは、横棒を4本書くやり方だと取り違えやすくなるからでしょう。だからあえてパターンを変えて、区別しやすくしたわけです。しかし区別しやすいとはどういうことなのでしょう?

「AとBが区別しやすい」とは、Aに予測されるものがBには無く、Bに予測されるものがAには無いということです。たとえば、あなたがこれから「□」か「■」を見せられる時、□を見せられるならあなたは白い色を見ることが予測されますが、それは■にはありません。■では黒が予測されますが、それは□にはありません。だから□と■は区別しやすいわけです。

あなたの脳が、2つのパターンを区別しやすいかどうかを決定するのです!しかしそれなら、シラードのエンジンの場合はどうなのでしょう?<シラードのエンジン>にはメモリはありますが、脳と呼べるような高等なしかけはありません。あるのはせいぜい筋肉の代わり――おもりの付いたヒモを左右のどちらからつなげるかを制御するシステム――です。ということは、正確に言うと、脳+筋肉が必要なのです。行動がメモリによって厳密に決定されるなら「AとBが区別しやすい」といえるでしょう。<シラードのエンジン>の場合、ヒモのつなぎ方がメモリによってきちんと決定されるなら区別しやすいといえます。行動につながらなければ情報には意味が無いのです。なにしろ、メモリが紙に描かれた「□」か「■」というわかりやすいパターンだったとしても、カメラがなければそのパターンは読み取れません。ばねばかりでは「□」と「■」は区別できないのです。いや、カメラがあったとしても区別できないかもしれません。もしかすると「□」と「■」は、花の模様のように、紫外線が見える虫の目でのみ分かる模様なのかもしれません。メモリは単独では区別できるかどうか言うことはできないわけです。情報の内容と同様に、情報の媒体が読み取りやすいかどうかも、それの解釈に依存するのです。

まあ…「■」と「■」は誰にとっても区別できない(全く同じものは区別しようがない)ので、その場合は主観に依存せず、区別は絶対不可能だといい切ることはできますが、その場合は特殊ケースでしょう。なにしろ、「ロ」と「口」だって、微妙な形の違いがありますし、その違いの判定法を知っていたら、100%正確な区別が可能です。観察者に依存しない「区別しやすさ」を考えようとすると、ほんのわずかでも違っているものはどんなものでも、区別しやすいと言えてしまいます。やはり2つの状態が区別しやすいかどうかは、それらの観察者に依存すると考えるべきでしょう。

循環論法じみていますが、<シラードのエンジン>のメモリがエラーなしに読み取りやすい形式になっているかどうかは、<シラードのエンジン>がうまく発電できるかどうかによって決まっており、<シラードのエンジン>がうまく発電できるかどうかは、メモリがエラーなしに読み取りやすい形式になっているかどうかによって決まっているのです。システム全体で考える必要があるのです。

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