忍者ブログ

Memeplexes

プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

ヒュームの法則ゾンビ化する

ヒュームの法則とは、「~である」から「~すべき」は導けない、とする原理です。これは「~」が「○○人は被差別民族なので迫害するべきだ」だったらたしかに納得できます。しかしそもそも人が「~すべき」と判断するのは脳の状態による物理的な計算プロセスの結果であり、「~である」と無関係であるわけがありません。洞窟に住んでいる原始人がいきなり「チョコレートの食べ過ぎには注意すべきである」と言い出すわけがないのは、彼または彼女の脳にはそもそもチョコレートなどという概念をコードする神経回路が存在しないからです。ヒュームの法則は明らかに間違いです。しかしこれを元に実りある考察を広げることはできます。「~である」と「~すべき」とは本当はどういう意味なのでしょう?


過去と未来

ヒュームの法則は大雑把に言って、「未来が過去のみによって決まるものにしてはならない」と言い換えることができます。「~である」とは、過去に観測された状態を意味し、「~すべき」とは未来にそういう状態になるように行動しろ(周囲の物質を再配置し、そうなる確率が高くなるようにせよ)という意味です。

例えば私達が「○○島は自然豊かな美しい島である」というとき、それは過去に何度も観測された現実世界の状態です。いっぽう、「○○島は自然豊かな美しい島であるべし」は、未来の状態です。ですから、もしあなたがその島の砂浜に空き缶が落ちているのを見かけたら、それをゴミ箱まで移動することになります。空き缶の再配置によって、未来の島の状態を調整するのです。

ヒュームの法則の誤り

ヒュームの法則によると「○○島は自然豊かな美しい島である」から「○○島は自然豊かな美しい島であるべき」を導き出してはいけません。まあ、自然保護は良さそうな結論ですが、別のケースだと危うくなります。「○○人は差別されている」から「○○人は差別されるべき」を導き出すのは危険です。というわけで、単に「~である」というだけで、それが良いことにはならないというわけです。ここまで納得できる話です。

しかしデイビッド・ヒュームの考えはすこし行き過ぎており、彼に言わせれば事実から道徳的判断をしてはいけないとまで来ています。この考えでは、「包丁で人を刺すと死ぬから刺さないほうがいいよ」という推論をするのもだめになってしまいます。これは無茶苦茶です。私達の価値観というのはすべて現実に存在する物質の配置によって形作られているのであって、現実と関係のない道徳的判断などありえません。包丁の刃を人の体に押し込むのは悪いことですが、ふわふわした包丁のぬいぐるみの先を人の体に押し込むのは悪いことではないはずです。これは2つの区別は物質の物理的な性質によるものです。知り合いの写真を取るのは本人の了承を得たなら悪いことではありませんが、それは写真をとっても魂が吸い取られたりはしないからです。もしカメラが本当に魂を吸い取る機械だったら、たとえ本人の了承があってもためらわれるべきでしょう。道徳的判断は明らかに事実から計算されているのです。

未来を過去と同じにすることの利点と欠点

「Aである」よって「Aは正しい」という考え方は、自然保護のようなまあまあ良さそうな結論を出すこともあれば、差別の正当化をすることもあります。一体どういうときに良い結論が出て、どういうときに悪い結論が出るのでしょう?

未来を過去と同じにするということは、過去が良いものである場合は良いですが、過去が悪いものであるならば悪いのです。数万年同じ暮らしをし続けてきた集団なら、それでうまくいくことがわかっているので未来を過去と同じにしても良いでしょう。もし過去が悪いものなら、それを何万年も続けたその集団はとっくに滅びているはずだからです。

しかし、私達のように日々変化し続ける世界に住んでいる集団なら、過去が良いものである保証はありません。その過去は、新たに生まれた何かに対する間違った行動であるかもしれませんし、仮に当時正しい行動だったとしても、未来永劫正しいという保証はどこにもないのです。なにしろ技術革新によって出来ることが増えているわけです。当時のベストよりもっと良い手段があるかもしれません。原始人はまじないや祈祷によるプラシーボ効果で病気が治ったかもしれませんが、私達はちゃんと効く薬に頼ることが出来るのです。

というわけで、変化の速い世界では、ヒュームの法則がたまたま成り立っているかのような状況は増えていくでしょう。実際にはヒュームの法則が正しいのではなく、古い情報によって判断した結論は今では間違っている可能性が高いと言うだけです。これはヒュームの法則とは違うことを言っているのですが、ヒュームの法則が正しいとして行動したとしてもだいたい同じような結果になるでしょう。ヒュームの法則は間違っていますが、正しいと仮定して行動してもさほど問題はないかもしれないというわけです。

拍手[1回]

PR