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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて
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次のような超能力について考えましょう:「どんなものも思い通りにできる。ただし、①過去のデータから予測される(確率的に十分あり得る)ことしか起こそうとしたくなくなる。②能力を使う前にそれを周りに予告することはできない」。この超能力を使えば、太陽のような巨大な物質を思い通りに動かすことができます!毎朝太陽を昇らせることができるのです!太陽が昇る(地球が回転する)というのは超能力がなくても起きる確率的に十分あり得る現象――予測できる現象――だからです。空中浮遊はやろうと思えばできますが、確率的にありえないことなので、この超能力の制約によりやろうとする気力がなくなるのです。そうそう、「今まで事故にあったことがないからこれからも絶対事故に起きないようにする」というのもなしです。というのもそのような慢心を抱いている人は事故にあいやすくなると予測されるからです。
この超能力を持った人を哲学的超能力者と呼ぶことにしましょう。哲学的超能力者は超能力を持っていない人と全く変わらないように見えます。空中浮遊もスプーン曲げも使うことはないのです。しかしいちおう、宇宙にある全てを支配することは可能なのです。
いや…こんな思考実験は何の意味もないように思えます。この超能力は哲学的ゾンビと同じで実在を証明できません。ということは時間の無駄であり、さっさと別のことを考えたほうが良いということです。
ただしそれは、哲学的超能力者自体について考えても意味は無いということで、この無意味さをなんとかしようと頭をひねること自体には意味があるのです。必要は発明の母です。哲学的超能力者はなぜ無意味なのでしょう?それを説明できたら、超能力という言葉をきちんと定義できるようになるに違いありません。
諸悪の根源は、予測される現象以外は起こさないという点にあります。これはつまり、この能力を使ったとしても人をびっくりさせることは不可能ということです。人の記憶に残るのは驚きであり、驚きを起こせない超能力には存在価値がないのです。
超能力を名乗るからには空中浮遊やスプーン曲げできなければいけません。もちろん、全人類が空中浮遊やスプーン曲げができるようになれば驚きでなくなるでしょう。それらは超能力ではなくなります。現在の電子機器と同じ扱いになるのです。古代人から見れば魔法に見えますが、現代人にとっては日常の一部なのです。
このことから、超能力は情報と密接に関係があるということがわかります。既知の現象は超能力ではありません。既知の現象から予測できないものが超能力なのです。
ということは明らかに、超能力はタイムトラベルと関係があります。
小型タイムマシンで、未来から詳細なメッセージを送ってもらったと考えてみましょう。あなたは死ぬまでの行動を一分刻みの詳細さでその機械に知らされました。これはつまりあなたの人生はすべてが既知のものになった(もう驚くことはなくなる)という意味で、超能力とは対局にあります。
ところが、メッセージを受け取る時はどうでしょう?未来の情報は明らかに驚きなので、受け取る瞬間は超能力っぽさが通常よりも跳ね上がります。じっさい、未来を予知するのはフィクションの世界でメジャーな超能力ではありませんか。アナキン・スカイウォーカーがダースベイダーになったのは元はと言えば予知のせいです。
このことは超能力についても同じことがいえます。超能力は周りに影響を与える(周りを以前からは予測できないものに変化させる)ものでなくてはならないのですが、あまりに影響が大きくなりすぎると、周囲はその超能力の結果を含めた世界の予測をするようになるでしょう。すると飽きられてその超能力はもはや超能力とはいえなくなるのです。超能力者がヒーローでありつづけるためには、超能力を普及させてはいけないのです。