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プログラミング、3DCGとその他いろいろについて

ヤラセ・ドキュメンタリー!

テレビ番組にはウソがつきものです。

そしてそれは内容が正確であるべき
科学ドキュメンタリーであっても例外ではありません。
残念なことに、たいてい変な演出や脚色がまじってしまうものです。


昨日、それを実感させることがありました。
十数年前(1990年くらい?)にあったNHKの
チンパンジーが石を道具として使うところを
はじめてテレビに捉えたドキュメンタリーを見たのですが、
珍しい体験として、そのドキュメンタリーを作る現場に立ち会った人が
合間合間に解説してくれたのです。

といってもNHKの方ではなくて、その番組が追っていた
3人の霊長類を研究していたグループ(?)の一人だったのですが。threeChimpResearchers.JPG
(もう少し詳しく言うと、一人は京都大学の杉山幸丸教授で、
後の二人は当時大学院生でした。
ぼくが話を聞いたのは当時大学院生だった人です)


さて、そのドキュメンタリーというのは
チンパンジーが石を使って植物の実を割るのを
NHKが初めてカメラに収めたものだそうで、
大体全部で一時間くらいのものでした。

まず杉山教授と二人の大学院生、
そしてNHKのスタッフ達は西アフリカのギニア共和国へ向かいました。
(杉山教授はそれまでに何回もそこを訪れていたそうです)
ギニアはフランスから独立する際にけんかをしてしまい
援助を打ち切られインフラがメチャクチャになり、
つまりチンパンジーのいるところまで移動するのに苦労します。
ギニアの中では主に車(フランスと仲直りしたときに寄付してもらったタクシー)を使って移動するのですが
移動の途中で橋のかかっていない川があったりして
そこではいかだの上に車を乗っけて移動します。

そして実際、テレビにはそのいかだの場面が映るのですが
そこで元大学院生の人がビデオを一時停止してこう言います:
「じつはこれ、帰りのなんです」
つまり、帰りに川を渡ったシーンを
あたかも行きのシーンであるかのように編集したということです。
番組はまだ始まったばかりだというのに、幸先の良すぎるスタートです

そして一行はチンパンジーのいるらしいところに着きます。
チンパンジーが住めるだけ大きい森が近くにあるところで、
現地の人が市場を開いています。
そして教授が車の中から、シャツに土ぼこりをつけて、
いかにも「長い間車の中で窮屈だったー」というかんじで出てくるのですが
そこでも元大学院生の人が一時停止してこう言います:
「じつはこれ、別の日なんです」
つまり・・・教授が車の中から出てきたシーンは
到着した日に撮ったものではないということです。
到着してから日がたったときに
タイミングを見計らって撮ったものなのだそうです。

「タイミングを見計らって」というのはどういうことかというと、
実は市場は毎日やっているのではなくて決まったときにしかやっていなくて、
そのにぎやかな日を選んで撮影をしたということです。
教授は演技をしていたわけですね。
ちなみにシャツについていた土ぼこりは撮影前にみんなで協力してわざと付けたそうです。
憎いことをやってくれます!

到着した後、3人とスタッフ達は森へ入ります。
3人はトランシーバーで互いに連絡を取り合いながら
森の中へ別々に入っていきます。
チンパンジーは森の中で簡単に見つけられるわけではないので
別行動は当たり前、とくにおかしくは無いシーンに思えたのですが、
元大学院生の人の一時停止です。

そのシーンはヤ・・・演出だったそうです。

NHKに頼まれて3人とも演技をしていたのだそうです。
そういわれると心なしか、「こちら***、こちら***、チンパンジーは・・・」
というセリフがウソくさく聞こえます。
まぁチンパンジーの生態についてウソをついているわけではないので
深刻な問題というわけでは・・・ないでしょう。

しばらくすると教授がチンパンジーのいた痕跡を見つけます。
しょうがに似た植物がかじられて捨ててあったのです。
さすが教授!
しかし本当は、これを見つけたのは元大学院生の、今解説をしてくれている人だったのです。
まぁたしかに・・・(当時は)無名の大学院生が見つけたという風に撮るのよりも
教授が見つけたということにする方が華があるに違いありません。
NHKはその点をよく心得ているということですね。

さて、そのしょうがに似た植物を教授はまじまじと見つめます。
何をするのかと思えばパクリと食べました。
チンパンジーと間接キスをするなんて・・・!
それとも齧られていないところを食べたのか!?
いずれにせよ、病原体と不必要に接触することになるはずです。
そのような危険を冒してまで、チンパンジーの生態に迫ろうとする
教授の研究者魂には頭が上がりません。
・・・と思っていたら、これは演・・・出なのだそうです。
よくよく考えてみるとこれは当たり前で、
何度も研究で来ているところでわざわざチンパンジーの
食べ物の味を確認する必要は無いというわけです。
(気になるのなら一番最初に来たときに確認しているはずですからね)

その後番組はチンパンジーの生態を追っていきます。
ここから先はぼくの時系列の記憶が怪しくなるので
おもしろい(とぼくが感じた)ところを表にして書いておきます。
(順番は入れ替わっているかもしれません)

 番組で放送された内容  その真相
 チンパンジーの一人(匹?)が枝をへし折って一行に投げつけてきます。(チンパンジーは腕の力が力が人間の5倍はあるので、直径5センチはある、かなり太い枝でした。)
しかし運良く誰にも当たらずにその枝は地面に落ちます。
 投げつけてくるところまでは本物ですが、その枝が地面に落ちるところはスタッフが投げなおして撮りました。
よくよく考えてみるとこれは当たり前で、いきなり枝が投げられたのにそれが地面に落ちるシーンをカメラで上手く撮るのは難しいわけです。
 チンパンジーが木の上にいて動き回っているシーンが続きます。  そのシーンはツギハギでした。別の時に撮ったものをつなぎ合わせたものだったのです。
よくよく落ち着いて観察すればそれはわかることで、木の葉っぱの種類が全然違います。
 教授がチンパンジーが枝と葉っぱで作ったベッド(地上から20メートルくらい!)に座ってどんな具合か確かめます。  スタッフからたのまれてやったそうです。
これもやはり当たり前で、今まで何度も来ているわけですから、わざわざ確かめるまでも無いということです。
 森と森を分ける、木の生えていない道のようなところ(といっても舗装されているわけではないですし、幅も数メートル程度です)をチンパンジー達がたくさん横切ります。  別の日に取ったやつをつなぎ合わせています。そのため、同じ個体が何度も横切ったりしています。

他にも、チンパンジーのある習性(たぶん、肉食のことだったと思う)
をテレビカメラに収めるために、
わざとそれがおきやすいような状況(獲物を人間の方で用意して・・・だったと思う)
を作ったりもしたそうです。
教授はこれじゃあインチキじゃないかと渋ったそうですが、
プロデューサーの理屈では
これはチンパンジーの実際の行動なのでokなのだそうです。
そうかもしれません。
しかし、やはり何か腑に落ちないところがあります。


そして最後に、チンパンジー達の石を使った木の実割りを撮って終わりでした。


教訓

このことから何が学べるでしょうか?
「これだからメディアは信用できない。」、
「こんなに簡単にだまされるなんて大衆はバカだ。ほんの少し注意すれば見破れるのに」
というのもひとつの考え方です。

しかしここでは別の見方をしてみようと思います。
もしかすると人がこうやってだまされるのは
ある意味仕方の無いことなのかもしれません。
ぼくが言っているのは、だからあきらめろとかそういうことではなく、
これはもしかすると人間の「フレーム問題」なのかもしれないということです。

この番組のイカサ・・・演出は注意深く見れば、
あるいは考えれば、見破れるものがほとんどです。
しかし、大半の人はそれを見破れません。
なぜでしょう?
これはおそらく人間はそのように出来ていないからです。
あらかじめ情報を与えられない限り、
こういったドキュメンタリーを「注意深く見たり、考えたり」しないのです。

もし、人間が見聞き体験すること全てに対して「注意深く」なれば、
それにはかなり副作用があるはずです。
「注意深く」なることにはもちろん利点もありますが、同時にコストもあります。
あることに「注意深く」なれば必然的にほかの事が考えられなくなり、
それが重大なことだったとすれば、
そしてそれが緊急のものだったとすれば、
物事はに悪い方向に進みます。

それ以外にも「注意深く」なることそのもののコストもあるでしょう。
人間の脳はかなりエネルギーの消費の激しい臓器だからです。
どのようなことに対しても「注意深く」なれば採算が合わなくなります。
そのため、おそらく人間は限られたものに対してのみ「注意深く」なると思われます。
(この「限られたもの」とは具体的にどのようなものかはわかりませんが、
おそらく「現在自分が扱っているものに概念的に近いもの」といったところでしょう。)

これが何を意味しているかというと、
単に「物を見聞きするときはもっと注意深く!」と人に言うだけでは、
逆効果になりかねないということです。
コストが利益を上回る危険性があります。
というか、まず確実に上回るでしょう。
そして現在の人工知能の研究がぶち当たっている壁と同じものに
行く先を阻まれることになるのです。
そうなれば忠告された人は、
なんだか上手くいっていないことに本能的に気付き
(おそらくこの機能は「飽きる」という感情によって実装されています)、
やがてやめてしまうでしょう。

ただ単に「見聞きしたものを疑え」というだけでは上手くいかないはずです。
ここには人間の能力の限界があるのかもしれないのです。

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